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第2回:[公式山行]歩荷①

毎年、夏合宿の前に行われる歩荷。いつの頃からか開催地は三つ峠となっている。今年は、部員数が多いため、6月12日・13日・7月18日・24日の4日程に分かれて行われる。

前半戦となる6月12日・13日の様子を今回と次回に分けてレポートする。


する必要のない、余計なことはせずにいたいというのが人間の性であると思う。なるべくはやりたいこと7割、やらねばならないこと3割の割合で生きていきたいと日々考えているからそこに余計なことなど入る隙間はないのだ。

しかし先日、15キロの荷物を背負い三つ峠を登ってきたことは、もちろんやりたいことではないし、生きていく上でどうしてもやらねばならないことでもなかった。


「夏歩荷」と称されるワンダーフォーゲル部が慣習として行う山行は、来たる夏合宿へ向けた体力づくりのため男子20キロ、女子15キロを背負って山に登るというハードなものである。部員の多くは重りに水を入れたペットボトルを使うが、私などはそれをザックに詰めている段階で水とはこんなに重いものだったかと辟易してしまう。


そうして出来上がった普段経験することのない重さになったザックを担いで歩いていると、景色を楽しむ余裕などないからか自分の体に意識がいく。どこが痛いとか呼吸の音とかいったものがいつもより鮮明に意識上に浮かび上がってくるのだ。踏みだす一歩一歩が地面に沈んでいくように思える。


当日の天気は生憎の曇り空、いつ雨が降り出すかと心配しながらの登山となった。

本来なら美しい眺望が広がるはずの三つ峠を、濃い霧に囲まれた中で黙々と歩いていく。背中にはべったりと覆いかぶさってくる15キロ。これだけ難儀な条件が重なることもそうないだろうという状況だったのだが、ふと、吹いてくる風が気持ちいいことに気づいた。体は疲労を訴えすぐにでも背中の荷を投げ捨てることを要求してくる。しかしそんな状態だからこそ、周りを吹き抜けていく風は山からのご褒美か何かのように思えた。

へえ、と思った。

そんな風に、いつもならなんとも思わないそよ風ひとつに心地よさや意味を見出せるのは、気持ちも体力もきついからだ。そのしんどさゆえ小さなことであっても気づけるし、すがりたくなる。一緒に歩いてる部員の話し声も同じだ。体のきつさとは切り離された所で笑っている自分がいる。その存在の何と有難いことか。


普段置かれることのない状況に立って初めて、見えていなかったものが見えてくる。

登りの行程を終え、重りの水を捨てたときの笑ってしまうほどの軽さや、雨雲の裂け目から差してくる陽の美しさ。そして15キロを担いで登りきることができたという喜び。それはこの歩荷を行わなかったら得られなかったものだ。綺麗事を言うつもりはなく、大変な思いをした先に喜びはあるとか、すすんで困難な道を行くべきだとかいう金言めいた考え方も好みではない。しかし、周りの状況に流されに流され、やりたいとも、やる必要があるとも思っていないにも関わらず立ち向かうこととなった今回の山行は、この先の登山人生を考える上で決して「余計なこと」ではなかった。

もうしばらくは、またあの重さを背負いたくはないけれど。




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